GUIN SAGA - グイン・サーガ

SPECIAL

たくさんのお便りありがとうございました。
 頂きましたお便りを一部ご紹介させていただきます。


このホームページを見つけて、とてもうれしくなりました。 昨年、栗本さんの訃報に接してからグイン・サーガの読んでいない巻を購入し、感じたことを誰かとやりとりしたいと思っていたからです。 高校でSF・アニメ・小説好きな仲間たちと、グインの回し読みをしていました。通学するバスの中で1巻を読んだときの衝撃とひきこまれる感じを、今でも覚えています。 グインのショートストーリィを書く者もいれば、絵を描く者もいました。新刊を待ちながら10巻までを読んだ高校3年生の頃は、いつもわいわい言い合う仲間と一緒でした。 私も絵や漫画を描いていました。高校で発行している文集のような冊子にイラストを依頼され、高校生活ではなくグインのキャラクター群を描きました。一般の高校生には分からないイラストが満載の文集になってしまい、今考えると自分の偏りと思い込みの強さに、冷や汗がでます。 大学に入学し、クラスの自己紹介で「グイン・サーガが好きです。読んでいる人、話をしましょう。」と言ったのですが何の反応もなく、初めて同じ作品を読んでいる人がそうごろごろいるわけではないのだ、ということを知りました。 それからは、1人で栗本さんの作品を読んできました。20数年、作品の中の言葉に支えられ、たくさんの喜びをもらいました。栗本さんが作品を書き続けていてくれて、どんなにありがたかったことでしょう。そして、その喜びを他の人とも分かち合いたかったのです。 このホームページで、他の方々の強い思いにふれ、同じようにグイン・サーガの世界を大好きな人がいることを感じることができました。ありがとうございます。 栗本さんがこれまで書いてきたものが、私を支え、私とたくさんの人たちをつないでくれたことに感謝しています。


今までは序章に過ぎなくて、ようやくこれから話の展開が面白くなって来ると期待していただけに、未完成に終わって大変残念です。 青春時代を捧げただけに失望感もひとしおです。ご冥福をお祈り致します。


栗本先生、そちらでどうされていますか?お疲れは癒されましたか?書店でグインサーガの新刊は・・と探してしまう癖も無くなりつつある事に気づき、改めて寂しく思います。でも、また読み返します。今までも何かの折にそこにありました。これからも変わりません。本を開けばお会いできますよね。


僕が初めてグインにであったのは、高校の図書館でした。当時は読書する習慣もなく、ただ、同じ色の帯が何冊も続き、1冊目に豹頭と子供たちの絵が印象に残りました。友人からはとても長くなるお話だよと云われたのを覚えています。それからすること10年あまり、社会人になってふと立ち寄った書店で再び1巻を手にし、読んでみようと思ったのがかれこれ10数年前のことになります。読む速度も遅く読む時間もあまりとれなかったこともあり、なかなか進まない時もありましたが、それでもいつも持ち歩いてこつこつ読み進め、1冊読み終わった後の後書きを楽しみにしていました。後書きが書かれている頃の時代背景や栗本先生の心情などが会まみれグインの世界に生きておられるのだなといつも思っておりました。また、恒例であった読者プレゼントの氏名等を見るたびに、僕も最新刊まで追いついたら先生にお手紙を書かせてもらおうといつも思っていました。残念ながら、読んでいく内にこの企画が終わったのを知り、ああ間に合わなかったと思った物です。そして、もうあと少しで追いつくという所で遙かな時の流れに出発されました。この時グインは永遠の物語として生まれ変わったのだと感じました。また、本当のライフワークと云う物を教えていただいたような気がします。そして、このような機会を与えて下さったことに感謝します。今でもグインは僕の人生の一部です。


中学生の頃からでしょうか、「ヒロイックファンタジー」の言葉に魅せられて「豹頭の仮面」を手に取ってから、グイン・サーガは20年以上も私の傍らにいました。既刊本を読み終えて新作に追いついたのがケイロニア編のあたり、そこからは新刊がでるのが待ち遠しくて、発売日の2,3日前くらいから、いまかいまかと本屋を覗いていたものです。月刊グインなど、ファンにとってはたまらない刊行のときもあり、最近では2ヶ月で1冊という安定したペースで、当初の100巻を軽く突破しまだまだ続く物語を楽しみに待っていたものでした。またホームページ神楽坂倶楽部のグインの部屋のタイトルも楽しみの一つで、毎回毎回更新されるのを心待ちにしていました。亡くなってから刊行されたグインは、まだ頁を開けません。読み進めてしまうと、もうこれでグインの世界が終わってしまうような気がして。出来得ることなら、やはり栗本薫の「豹頭王の花嫁」を読みたかった、しかしもうそれは叶わぬ夢です。残されたグイン・サーガは終わりのない物語として、長い年月をともに過ごした大切なものの一つとして、これからもずっと自分の中で存在し続けます。


グインという作品との最初の出会いは、ふぁんろ~ど誌に掲載された読者からの投稿イラスト(セル画)でした。リンダとレムスとイシュトバーンだったと記憶しています。SFでも学園物でもないそれが心に残り、タイトルを頼りに地元の小さな本屋へと向かい、一巻を開いて、そして、一行目で、あの短い一行目で、心を奪われた(というか吸い込まれた)瞬間は今でも忘れがたいものです。中学生でした。それまで楽しんできていたけれどそろそろ「卒業」しなければいけないように思われていた、全てのフィクションの魅力の真実が、ここに、たった一行で書き記してある! あれらは「幼稚」なのではなく、このように言い合わされる存在なんだ! 漫画やアニメや特撮に惹かれる自分の、揶揄されがちな好奇心を、肯定してくれた有り難さにただただ感謝した覚えがあります。ただ目の前の日々を生きるだけでなく、多彩なフィクションも味わう幸せな人生を送ることが出来ているのも、あの時の一行目との出会いがあったからこそです。フィクションを楽しめる自分であるからこそ、多角に万華鏡的に夢幻に物事を味わえている現在の人生は悪くないものになっているように思えます。もちろん、グインをきっかけにしたグイン以外の多くの魅力的なフィクションと、それを通じた人々(や妻)との出会いがあるから言えることなのですが、あの時に見たグインの冒頭の一行なかりせば、あの絶妙で奇妙で不可思議な一行がなければ、いまの自分、自分が気に入っている今の自分はあり得なかったと、断言できます。その冒頭の一行を受ける、対になったでありましょう、最後の一行、を目に出来ないのは残念……というよりも、コレクター癖のある自分には永遠に手に入らないパズルのピースのようで、妖しいまでにもどかしい! というのが正直なところではありますけれども、それもまた、そのぅ、 そう、「グインって虫歯になるのかね?」といったような往時の仲間たちとの楽しい楽しい馬鹿話のような、答えのでない淡い夢の記憶の味わいのようなものだと飲み込みつつ、あらためて感謝を。感謝を。(と書きつつも、まさかグインが完結しない方のパラレルワールドの住人だったのか俺! チキショー! という残念無念もあります。どうにかならねぇか、完結してるのを読んでる俺よぉ!


中学生の時、読み始めて以来、ずっと。家の本棚にはずらっとグイン。そして、意外なエンディング。中学3年生だった下の娘は「ふーん、完結したら読もうと思ってたのになぁ」。グインに興味を持ってくれてたんだ。と思うと同時に、「完結」されない残念さを改めて感じた。


なんとなく、ふらっと本屋に立ち寄って何気なく新書や雑誌の最新刊をチェックした後で文庫のコーナーに立ち寄って早川文庫のコーナーで グインサーガが出ていないか見るのが習慣になっていた。30年も続いた若い頃からの習慣はなかなか変わらない。先週もららぽーと豊洲でついチェックして”見知らぬ明日”が変わらずにあるのを見て、そうこれが最後なのだと言い聞かせはするのだが。グインはリンダ、そしてフロリーはどうなるのか緊迫した場面で引き続いているある種の期待は心から去ることはない。私の心の中で永遠に続く 果てしない物語 気持ちがつながっている事が あの世界が実在して継続していると教えてくれる。いつかきっとこの続きを体験できる日が来る。そう確信している。そんなある意味リアルな生き続ける作品に出会えたのは幸せです。薫さん ありがとう。


グインとの出会いは、三十年前になります。この出会いから、栗本作品にのめり込み、青春はグインと共に過ごしたと言っても過言ではありません。1999年のノストラダムスの予言で、もしかしたら、グインが最後まで読めないと悲しみましたが、何事もなかったので、グインはまだまだ読めるぞ!と喜び何年も経ちました。今回の訃報を聞き、とても残念に思います。続きはとても気になりますが、かえって、グインは私の心の中で永遠の英雄になってしまいました。続きは私が、天国に行ったときにでも、栗本さんに聞いてみたいです。


初めてグインを読んだのは高校生のとき、もう30年近く前です。それ以来ずっとファンでした。栗本さんが他界され、もう続きが読めないと思うと、悲しいし、グインサーガのアニメも終わってしまい、本当に残念です。 こちらの現世界が永遠に続くように、中原の世界も永遠に続くような気がしていました。栗本さんが早く生まれ変わって、続きを書いてほしいです。でも、長きにわたって、夢を与えてくださり、ありがとうございました!!


『グイン・サーガ』との出会いは、ぼくが16歳のときでした。学校の図書館にあった外伝、「十六歳の肖像」を手にしたのがきっかけです。以前からテーブルトークRPGと読書が大好きだったので、『グイン・サーガ』の名前は知っていたのですが、「十六歳の肖像」を読んで、圧倒的な描写にすっかり虜になりました。当時出ていた36巻まで一気に読みましたが、就職と同時に読書からも離れてしまいました。再び『グイン・サーガ』と出会ったのは、それから十数年もあとのことです。本屋の最新刊の棚に94巻が置いてあったのが目にとまり、その帯には「百巻達成せまる」の文字がありました。百巻を楽しみにしていた自分を思い出し、「百巻達成の感動をリアルタイムで味わいたい」と思ったぼくは、一年かけて外伝を含め、正伝も一巻からすべて読み直しました。全、120冊ですか……99巻を読み終え、発売日に100巻を手にしたときの感動は、今も忘れられません。読書の面白さを教えてくれたグイン・サーガ。130巻を読み終えたとき、涙が止まりませんでした。いつか、ぼくが死んだとき、天国で栗本先生が続きを語ってくれることを楽しみにしています。最高に面白い物語、『グイン・サーガ』と同じ時代に生きていることを神に感謝しております。


高校生の時に友達から「面白いよ」と教えてもらった本がグインサーガでした。最初のページですっかりにハマった私はすでに10数巻出ていたので追いつこうと授業中もこっそりと読んでました。追いついた頃にはグインサーガだけでなく「栗本薫」の虜に。今でもこれからもそれは変わらないです。未完の「グインサーガ」ですが私の贔屓のグインさんには絶対バラ色の未来が待っていると信じています。いまだに新聞の新刊情報があると栗本先生の名前を探してしまうけど、やっぱりないんですよね、、、本当に寂しいです。